2007-6-28 Thu 梅雨の切れ目の紫外線が気になる時期です。-消費者を欺く業界各社への憤り-

降れば土砂降り、降らねば炎天下で紫外線が厳しい、という今年の梅雨です。日本列島駆けめぐる移動が多い私にとりましては、少なからず厄介な季節と言えます。

さて、社会保険庁の年金保険記帳管理の怠慢杜撰さに、開いた口が塞がらず、お役人様に対して嫌な思いをしていた矢先、今度は民間で消費者を欺く会社が続々と露呈されてきました。日本人が誇りを持って古来より大切にしてきた「倫理」や「道」、「徳」はどこに消えてしまったのでしょうか。

今のお上・官僚諸氏や政治家先生達に「武士道」を求めても笑われるだけですが、せめて庶民の身近な手本となるべき民間企業のトップ社長様達には、大なり小なり、それぞれの「企業倫理」をしっかり持って営んで頂きたいと思います。さもないと大変なことになります、日本という国が。日本人が持つべき日本人としての誇り高き精神が衰退していってしまうからです。坂本龍馬ではありませんが、「日本を今一度洗濯」しないといけなくなってしまいます。

そもそも「商売、ビジネス」というのは、確かに利益を出す、お金を儲けることが主目的でもあるでしょう。しかしそれだけで本当によいのでしょうか。大事な消費者(お客様)を欺いてまでその目的を優先、達成したいのでしょうか。確信をもって言えますが、そのような仕事は長続きするわけはありません!なぜなら、欺くことは何時かは相手(消費者)にバレルものであり、そのバレルまでの時期がたまたま悪運強く長引いても、その仕事に携わる社員の意気が衰退すること必定だからです。また、その経営者、関係社員は、良心の呵責に耐えるために「人生お金が全てだ!」と割り切らないとやっていけなくなり、そのためにとても味気ない一生を過ごすはめになるでしょう(本人は、人生の最後にやっとその事に気づき後悔することになるのでしょうけれど)。

私は、大阪生まれ育ちの関係で、小さい時から「商い」というものについて考える機会が身近に多くあったように思います。日本の今の経済システムは、言うまでもなく資本主義、自由主義です。従ってお国に直接使え、国民の税金を給料としてもらう公僕(公務員という言葉は敢えて使う気にはなれません)と違い、多くのこの国の民は、何らかの手段をもって自分で糧を得て生きてゆかねばなりません。商いをしても働いても、採算が取れなかったり、無報酬・無収入では生きていけないのです。しかし、その売上報酬・収入というものは、お相手先方様(消費者・お客様)から喜ばれて初めて対価として頂戴できるものです。そこには、相手を欺く、という概念はあり得ません。商いで大きな収入を得て成功する、ということは、それだけ大きな喜び、幸せを多くの消費者に与え、消費者に認められた、という結果以外の何者でもないのです。もし松下幸之助さんがまだ生きていらっしゃったら、何を言われたことでしょうか。さぞかし「商道」から外れたこの一連の由々しき事態に、嘆き悲しまれたに違いありません。

消費者を欺いていた北海道の某食肉加工会社の社長様がおっしゃっておられました、「安い商品に直ぐ飛び付く消費者が多いから仕方がない、こっちは採算がとれなければやっていけないんだから・・・騙される消費者にも責任がある・・・」と。会社のトップの倫理観は何処へやら・・・です。これでは下で働く社員達が一部同罪でも哀れに思えてきます。私は思います、「そもそも消費者に対し、自分の得意分野をフルに活かして自信のある商品を作り、それを提供することで人々に喜んでもらうんだ、幸せになってもらうんだ、という確たる信念や使命感を持たない者は、商いを営む資格はない!」と。

上記の某社長の不埒な発言は、しかし純粋な消費者も、それなりに勉強し賢くなって対処せねばならぬ、ということの警鐘かもしれません。消費経済社会の本質を、物事の本質というものを考えなければならない、いつまでも「朝三暮四の猿」であってはいけない、ということでしょう。このことは、前回のエキスポランド事故の時にも感じ、同ブログで述べた事と関係します。

よく、クリニック選びが難しいのでそのコツを教えてほしい、と聞かれます。答えは、上述しました「消費者」を、「患者」に置き換えて頂ければ参考になると思います。また、うわべだけの体の良いメディア広告を鵜呑みにするのではなく、先ほどから申し上げている、(医療の)「本質」を考えることが重要と思います。代表例を次に述べます。

美容形成外科の分野では、多汗・腋臭症(俗にいうワキガ)治療という手術がよく施行されます。この疾患は、アポクリン汗腺の先天的(体質的)な過剰発達によるものですが、意味のある手術治療(完治永久保証付き)を行うには、ワキの皮膚深部レベルに広く高密度に分布する、無数のアポクリン汗腺(一つ一つは直径2~3㎜、薄ピンク色を呈した小粒子)自体を全て取り除かねばなりません。一粒でも取り残すと、肝心の治すべき不快症状が残存したり、一時治ったように見えても数年後再発するという事態となります。そうなってから担当医に訴えても、「アポクリン汗腺が減ったことは事実で、従って症状が緩和したことは間違いないのでミスではない、気にしすぎですよ。」と言われること必定です。元もと自覚症状が主問題の疾患ですから、医師からこう言われては患者さんは泣き寝入りせざるを得なくなります。とても残念な事です。完全に取り切って完治させるためには何が必要か?そうです、皮膚深部を直接「目」(もちろん識別能力のある執刀医の目)で見て慎重かつ丁寧に取り除いていくしかありません。直接「目」で見て初めてきっちり取れたかどうか分かるのですから、「目」以外の器械頼みでは、患部病巣がはっきり識別出来ず、取り残すことは自明の理です。名の知れた、難しい?名称が付いた特殊な器械の使用より、確かな医師の手技(それなりの「目」と「手」)が重要ということです。これが本質を考える、ということの一例です。以上の事をご考慮されれば、きっと、医師として自分なりの「医の倫理」を持ち、専門分野における確たる「信念」と「使命」を持って医療活動しているドクターに出会えると思います。

私のとても好きな歌詞があります。フォークシンガー吉田拓郎さんの作詞作曲された一節ですが、「私は今日まで生きてきました・・・そして今、私は思っています・・・明日からもこうして生きていくのだろうと・・・」のフレーズです。とても意味深いものを感じます。この詞を、堂々と、いつまでも恥ずかしくなく歌い続けられるよう、確たる信念を固持し精進を忘れず、仕事していきたいと思うのであります。